『オール・ユー・ニード・イズ・キル』

封切りからだいぶ経つので、もうやってないかと思ったんですが、なんとかまだやっている劇場を探し出して観てきました。原作となった日本の漫画は未見なんですが、なぜか勝手に脳内で「きっと大友克洋作品とシンクロするものがあるに違いない」という認識をしてしまったのと、とにかく口コミでの評判がやたら良かったのとで、これは絶対にアタリだと踏んでいました。結果として、やはり大当たりでした。

SFは何を観ても同じ感想を抱くのですが、これほど「プロット」が重要なジャンルは他にありません。プロットで作品の価値が先ず半分決まります。本作における「時間の繰り返し」というプロットは、SFにおいては基本中の基本、ベタ中のベタであり、あまり詳しくない自分でさえ、小説・映画・テレビドラマなどで幾度となく体験してきたものだと言い切れます。しかし、他に抜きん出て巧いなと思うのは、主人公とそれ以外の人間とが繰り返す時間が「経験の蓄積の上に成り立つもの」と「ただ一度きりのもの」であるという違い(これ自体を扱った作品はいくらでもある)を前提としつつ、主人公とヒロインとをごく自然に惹かれあう関係に仕上げていくところです。普通のプロットでは成立し得ないことなのですが、ある特殊能力を今持っている者、以前持っていた者という設定にすることで、非常にスムースに観ている側の腑に落ちるのです。こりゃもう半分どころか8割方プロットの勝利ですわ。

さらに本作が観る者を惹き付けるのは、主人公の経験の蓄積に自分がシンクロすることで、劇中の他の人間達に対する優越感を得られる作りになっているからです。主人公自身は、ミッション達成のために必死なのでそんな余裕はないわけですが、観ている我々は安全な立場でその美味しい部分だけをかすめ取ることができるわけです。

自分は威張れるほどトム・クルーズの作品を観てきたわけではありませんが、本作での「事なかれ主義の軍の広報マン」という役どころは、本来の甘いマスクが適度に枯れてきている現在の彼にとっては、まさにハマリ役です。これ、ブラピがやってもディカプリオがやっても違和感があります。特に巧さを感じるのは、前半初めてバトルスーツを装着させられた時のへっぴり腰っぷりと、ラストシーンで「ヘッ!」と笑う時の差分ですね。2時間の中で、途方もない時間と体験を経た差分を表現し分けるスキル。素晴らしいです。

クリーチャーものとして見た場合、正直あまりにVFXが流麗過ぎてピンと来ないというか、切迫感・恐怖感がないのが残念です。その点では同じクルーズ作品としては『宇宙戦争』の方が上ですね。

とにもかくにも、ラストシーンで見せるトムの笑顔の向こう側にある複雑な心境を思いやるに、ポッカリと心に穴が開くような切ない心持ちになります。本作は、ちゃんとそうした話の流れを理解できる女性と観に行ければ幸せでしょう。そういう相手でないか、または相手がいなければ、独りで観て感慨に耽ることをお薦めします。

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