『スプライス』

ヴィンチェンゾ・ナタリという監督をご存じでしょうか。その名前に聞き覚えがなくても、『CUBE』と聞いて「あぁ、あれか!」とピンと来る人はいるでしょう。それほど衝撃的な体験でしたし、冒頭のシーンは以降様々な作品でネタとして(ある意味「切り株系」のニューウェーブの出発点?)、そしてなによりあの作品から、「シチュエーションスリラー」なるジャンルが確立されたのではないかと、個人的には思っています。以降、滅多に劇場に行くことのない自分も、彼の作品だけはなるべくスクリーンで観るように努めてきました。しかし、本作に関しては存在を知るのが遅過ぎて、間に合わなかったのです。というか、比較的寡作の部類に入る彼ですが、デビューが衝撃的過ぎて、作品出す度にどんどん知名度が落ちて行ってるような気がするんですが…。

とある製薬会社のバックアップを受けながら、新薬の基となる素材の研究を進めるカップル。研究方針で会社との齟齬が判った時、彼らは秘密裏に「新種」の生産を進めようとする…。プロットとしては「ありそう」な感じなのですが、エイドリアン・ブロディ扮する彼氏と、サラ・ポーリー扮する彼女との、新種に対するスタンスが最後まで本作の肝となります。あくまで普通に自分達の子供を望む彼と、トラウマもあり後付けで新種を母性の対象としようとする彼女。そして新種は驚くべき知性と「魅力」を以って、彼らの運命を狂わせていきます。

先ずは純粋に、クリーチャーものとしての映像のクオリティ(特に幼体時)については、さすがナタリ作品、手堅いなとの印象。逆に育ってきちゃうと、これ明らかに「中の人」が演じてるよねぇと判ってしまうので、やや興醒めします。しかし、そのフェーズならではの展開は、観てるこっちとしては必至と感じるのに、ストーリーの中の彼の方が「まさかそうなろうとは」と驚いているだろうと思うと、醒めた心持ちになってしまいます(映画というのは、人の様を安全な場所から堪能する娯楽なんだなぁなどと)。シニカルなのは、子供に対する前述の各スタンスが、予想もしない形で彼らにしっぺ返しを喰らわせるようになっている点です。前半のショッキングなイベントが、オチに繋がる重大なプロットになっているんですが、展開自体は最初の終局がフェイクだと解った時におよそ読めます(まぁ、名作と言われるホラーにはよくある作りかと)。しかし、それが読めていたとしても、実際に画面を通して体感するとなるとえれぇ怖いですよ! トラウマになりそうな最終フェーズ。

なお、最後のオチについては、パッと見は彼女が新種に対して振りかざしてきた歪んだ母性の代償と映るわけですが、個人的には彼女にとってあのオチは実は観る者が思うほどに絶望的なものではないように感じるのです。むしろ、大事な者を失っても余りあるものを得られたという、科学者としての究極のカタルシスを見てしまい、ゾッとしたのは自分だけでしょうか。「失うものはなにもない」という台詞が劇中何度か、そして最後に出てきますが、「いろいろ失ったけど、一番欲しかったモノが得られたわ」という不敵な印象を抱いてしまうのでした。

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東野圭吾『嘘をもうひとつだけ』

偶然にも直前に読んだ長編で、犯人をじわりじわりと追い詰めた加賀恭一郎警部補を主人公とした短編集。乱暴な喩えをしてしまえば、愛想がなくやや事務的な刑事コロンボとでもいいましょうか。しかし、本作においてはその淡々とした態度が、犯人側の心の動きにダイナミックに影響しているようです。

短編集というと、普通は特に気負いもなく作者の得意とする世界観に身を委ねることになるのですが、加賀警部補が入ってくるとなると、そういうわけにはいきません、それで、ある程度姿勢を正した上で、はてこれはこれらはどういうテーマでまとめられた作品集なのかな…ということになります。読み進めるうちにすぐにそこは判るはずなんですが、背景のバリエーションに、作者の抽斗の多さを実感することになるでしょう。最初のエピソードを読んだ際に、この作品の「傾向と対策」的なものは自然と解るはずです。短編なので、話中の登場人物から早期に犯人を特定するのはかなり容易なのですが、本作においては犯人を推理することは全く以って目的とはなりません。人間が犯行に至る背景って、これだけバラエティに富んでるんだな…と感じ入ることができるというのが面白いところなのです。

とりわけ、子を持つ親として犯行の動機に同情を禁じ得ない2話目、解りやすい引っ掛けながらこれも理由を思えば切なくなる3話目、そして驚愕の「予期せぬ出来事」の連続の末に耽美的な最期を迎える4話目が、出色かと。

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『STAND BY ME ドラえもん』

本人は特にお金出してまで…と思っていた作品なのですが、同僚が「大人のための映画だ」と強烈にプッシュしていたのと、娘たちに「何か観たい映画ある?」と訊いたら「プリキュア」と返ってきたので、そりゃ勘弁してくれと思い強引に本作に連れて行った次第です。観る前は、別にわざわざ3Dにすることもねぇだろと思っていたのですが、タケコプターのリアル体験ができただけでこりゃもう3Dの価値ありだなと。4才の次女は、既にこの場面で「パパ、こわい…」とベソかいてました。すんげぇ迫力です。

毎年のようにやっているドラえもんのシリーズと違うのは、あちらがキャストや基本プロットを使った創作ストーリーなのに対して、本作は原作のエピソードをベースにしている点です。事前情報によると、原作にあった7本の話を再構成して作り上げたそうなんですが、この脚本が実に巧い。訴求ポイントは大きく2つあって、「のび太としずかちゃんの恋の行方」と「のび太とドラえもんの絆」なんですが、そのために原作のエピソードをほんっとに「美味しいとこ取り」してるんですね。後者に関しては、ネタバレするまでもなく、あの原作の6巻~7巻の一連のエピソードのまんまです。そりゃぁ泣くわな。もし子供らが泣かなくても、俺らが泣くってばさ。こりゃもう、日本国民に刷り込まれた号泣スイッチだわさ…。

一方の前者ですが、こちらは本作をオリジナル作品たらしめている重要なファクターです。一般的には概ねのび太がしずかちゃんと結婚するというのは既定路線なわけですが、でも「あのグズと、あんだけ出来た娘がどうして…」というのは、フェルマーの最終定理よろしく世の男性諸氏のもはやトラウマとなっていたわけです。その「永遠の謎」を解き明かしてくれるところが、本作の唯一無二の価値と言っても過言ではありません。興味深いのはしずかパパの発言で、結婚を迷う娘を諭すように語る、彼がのび太を信頼するに足る理由のところです。自分達が現役で『ドラえもん』を読んだり観たりしていた時には意識できなかったんですが、のび太がプレシャスなのって確かにそういうところだよな、と合点できるのです。

なお、しずかちゃん最大のピンチでのび太が採った行動については、正直子供には理解できないだろうなと。自分も、カラクリが解るまでかなり時間を要しました。また小姑のようですが、あの「古き良き時代」のたった14年後の未来があんな世界になっているというのは、時代考証的にさすがにどぉよと。そして自分がとても残念に思ったのは、ラストのクレジットのシーンです。あの演出はね、はっきり言って「最悪」です。解ってなくて、単に「ジャッキー映画っぽくしようよ」と決まったんなら、制作サイドがあまりにセンスがないですし、解っててやったんならデリカシーがなさ過ぎです。

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『オール・ユー・ニード・イズ・キル』

封切りからだいぶ経つので、もうやってないかと思ったんですが、なんとかまだやっている劇場を探し出して観てきました。原作となった日本の漫画は未見なんですが、なぜか勝手に脳内で「きっと大友克洋作品とシンクロするものがあるに違いない」という認識をしてしまったのと、とにかく口コミでの評判がやたら良かったのとで、これは絶対にアタリだと踏んでいました。結果として、やはり大当たりでした。

SFは何を観ても同じ感想を抱くのですが、これほど「プロット」が重要なジャンルは他にありません。プロットで作品の価値が先ず半分決まります。本作における「時間の繰り返し」というプロットは、SFにおいては基本中の基本、ベタ中のベタであり、あまり詳しくない自分でさえ、小説・映画・テレビドラマなどで幾度となく体験してきたものだと言い切れます。しかし、他に抜きん出て巧いなと思うのは、主人公とそれ以外の人間とが繰り返す時間が「経験の蓄積の上に成り立つもの」と「ただ一度きりのもの」であるという違い(これ自体を扱った作品はいくらでもある)を前提としつつ、主人公とヒロインとをごく自然に惹かれあう関係に仕上げていくところです。普通のプロットでは成立し得ないことなのですが、ある特殊能力を今持っている者、以前持っていた者という設定にすることで、非常にスムースに観ている側の腑に落ちるのです。こりゃもう半分どころか8割方プロットの勝利ですわ。

さらに本作が観る者を惹き付けるのは、主人公の経験の蓄積に自分がシンクロすることで、劇中の他の人間達に対する優越感を得られる作りになっているからです。主人公自身は、ミッション達成のために必死なのでそんな余裕はないわけですが、観ている我々は安全な立場でその美味しい部分だけをかすめ取ることができるわけです。

自分は威張れるほどトム・クルーズの作品を観てきたわけではありませんが、本作での「事なかれ主義の軍の広報マン」という役どころは、本来の甘いマスクが適度に枯れてきている現在の彼にとっては、まさにハマリ役です。これ、ブラピがやってもディカプリオがやっても違和感があります。特に巧さを感じるのは、前半初めてバトルスーツを装着させられた時のへっぴり腰っぷりと、ラストシーンで「ヘッ!」と笑う時の差分ですね。2時間の中で、途方もない時間と体験を経た差分を表現し分けるスキル。素晴らしいです。

クリーチャーものとして見た場合、正直あまりにVFXが流麗過ぎてピンと来ないというか、切迫感・恐怖感がないのが残念です。その点では同じクルーズ作品としては『宇宙戦争』の方が上ですね。

とにもかくにも、ラストシーンで見せるトムの笑顔の向こう側にある複雑な心境を思いやるに、ポッカリと心に穴が開くような切ない心持ちになります。本作は、ちゃんとそうした話の流れを理解できる女性と観に行ければ幸せでしょう。そういう相手でないか、または相手がいなければ、独りで観て感慨に耽ることをお薦めします。

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奥田英朗『イン・ザ・プール』

伊良部、精神科医……なぁんか訊いたことあるなぁと思ったら、やはり数年前にTVドラマ化されてました。自分は全く観ていませんが、キャストを確認したところ、少なくとも伊良部本人とマユミについては原作のイメージとは全く違うように感じられるので、未見の方は極力そうした事前情報を排して本作を読んでいただきたいと思います。

奥田作品は長編と短編集を1冊ずつしか読んだことがなかったのですが、強迫的に不幸へと転がり落ちていく様を描かせたら天下一品だわ…と思っていたら、まさに本作もその様相。しかも各話共精神科を最後の砦としてやってくるような人々が主人公なので、そりゃぁまぁその転がり落ちる傾斜角度たるや半端じゃありません。しかし、どんな強烈な思い込みの患者が訪れても、超絶マイペース振りで対応する伊良部医師とマユミさん。結果的には、それぞれの患者達の症状は改善していくわけですが、それがあくまで自分達の気付きによるものだというところが本作の肝です。マイペースな医師と看護婦はあくまで触媒であり、展開に全くお仕着せがましいところがありません。

ピタリということがなくても、本作で取り扱われている症状群には、ある程度のシンパシーを感じられるという人が多いのではないかと思われます。症状というよりも、そこに至る背景に身につまされることで、リアリティを感じることになるわけです。そうだからこそ、各話で主人公達がリカバリに向けて踏み出す時に、読んでいる側も安堵と共に細やかな幸福感を得ることになるのです。

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東野圭吾『悪意』

非常に人気のある作家ですが、自分はこれまであの『秘密』(広末涼子主演で映画化、未見)しか読んだことがなく、今回でようやく2冊目となります。『秘密』読了からはもう何年も経っているため、印象が純化されて、あの特殊なシチュエーションの中でのモワンとしたグレーな淫靡さと、オチの「そう来たか!」感しか記憶にありません。で、今回久々に東野作品を読んで、このオチの感触にデジャ・ヴが。
2作しか読んでいない自分が、さらに福山某主演で大ブレイクしたあの作品も全く観たことがない自分が簡単に結論付けるのはどうかと思いますが、この作者は仕掛け作りは非常に巧いです。が、抒情性という点ではイマイチですね。一言一句に色気だの殺気だのが伴わないというか、例えば本作の解説を引き受けている桐野夏生女史の作品なんかと到底比べることができません。レベルとしては赤川次郎と同等ですね(良いとも悪いとも言っていません)。

なんだか貶しているだけのようですが、十分にハラハラしましたし、夢中で読みました。それはやはり、作品全体を以って読者に対し壮大な罠を仕掛けようという心意気を感じたからです。そういう意図を持った作品というのは少なからずあると思います、本に限らず映画にしてもそうですし、またなぜか勝手にシンパシーを感じてしまったのは『ポートピア連続殺人事件』だったりします(オチの内容は全く違いますが)。
本作の仕掛けというのは、「そいつが犯人か!」といった単純なものではなく、「そこなんだ!」というポイントになります。そしてそれが「その心情を説明しろと言われれば難しいけど、なぜか理解/共感できる」というところを突いているのが絶妙なのです。

本作を成立させている大前提が、桐野女史が的確に指摘している、我々の「記録」というものに対する盲目的な過信であり、それが先ず技巧上の裏付けとなっています。これはあくまでギミックとも言えるわけですが、それに加えて被害者と加害者との関係、特に加害者が被害者に対して抱いていた得も言われぬ感情、この不可解さ・不条理さが、本作の魅力なのだと思います。惜しむらくは、描写や進行などの単調さによる緊迫感の不足ですね。記録というスタイルを採っているのである程度仕方ないかとも思うんですが、それにしてもダイナミズムを抑え過ぎかと。

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鶏サイト、とうとう ver.3.0に。

もうかれこれ10年くらいWebサイト運営をやっていますが、HTMLタグのベタ打ちで作っていたver.1、そしてXOOPSを導入したver.2を経て、この度WordPressを使ってver.3に移りました。

XOOPS導入時、書籍まで買って結構本格的に作り込んだつもりだったんですが、風呂敷を広げ過ぎて全然投稿しないフォーラムが放置してあったり、guest投稿を認めていたら大量のスパムアカウントを作られてしまって削除できなくなったり…。挙句(サーバ管理会社の説明によると)そのスパムアカウントが原因とされる閲覧不能に陥り、XOOPSでの運用を断念することにしました。

そもそも、ここ数年は忙し過ぎてほぼ映画と本の感想をアーカイブするという使い方しかしていなかったので、閲覧不能はイコール、アーカイブの損壊です。これは現在もサーバ会社のサポートとやり取りを継続していて、なんとか根本的な解決を望んでいるのですが、今の状態だと「DB直しておきました、との連絡」⇒「直後には見られるものの、しばらく経つと閲覧不能」の繰り返しです。自分としては、XOOPSはもう諦める決心が着いたのでいいんですが、中のコンテンツを諦めるのはちょっと…(涙)。まぁ、自分が雑食的に観た映画だの読んだ本だの(いずれも、ほとんどが旧い)感想など、熱心に読む方などほとんどいるはずもなく、単なる自己満足なんですが、それこそ自分のためのアーカイブですわな。ともあれ、これまでのコンテンツはサルベージできたらWordPress上でまた展開しようと思っています。

で、システムを替えてまで自分のサイトを継続する理由というのは大きく二つあって、一つは上述のような映画だの本だのの感想というのをアーカイブしないと、そもそも映画を観る、本を読むといった行為のモチベーションが上がらないからです。何らのアウトプットも想定しないでインプットだけするというのが、非生産的に思えて仕方がないんです。貧乏性というか、これも度が過ぎると不健全だと思うんですが…(忙しくて、かろうじてインプットはできてもアウトプットができないという時に、かなりストレスになります)。

もう一つは、最近SNSにドップリ浸かり過ぎたせいで、考えて長文を書くということをしなくなってしまったなという反省からです…というか、これもなんだか自戒し過ぎというか、書きながら「なんて窮屈な人生送ってんだ俺…」とゲンナリしたんですが。でも、そういう義務感のようなものはさておいて、長文をしっかり書きたいという想いが少しずつ強くなってきました。やはりfacebookではあまりに長い文章というのは書きづらいですし、それに自分と繋がっている人の目にしか触れないというのがどうも自己満足的な気がしまして。「こんなとこ行きました」「こんなもの食べました」⇒「イイネ!」…どうもこれの繰り返しだけでは、思考をしなくなるような危惧もあり。誰の目に触れるか解らない、という緊張感を持って文章を書くという機会があった方がいいんではないかなと。まぁ、別に有名ブロガーでもなんでもない自分の駄文をわざわざ読んでくれる人がそういるとも思えませんが。

やはり、SNSではなくてちゃんと自分で運営するサイトというのがあるというのは、精神的なライフラインになり得るのではないかな…と、これまたなんだか大袈裟な考え方ですが、とにかく「考えたら/想ったら、書く」ということに、今一度きちんと取り組んでみようかと思った次第です。…いきなり忙しくて放置するかも知れませんがorz

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